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東京地方裁判所八王子支部 昭和56年(ワ)1823号 判決

原告 甲野太郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 眞子伝次

同 重松彰一

被告 社会福祉法人神奈川県総合リハビリテーション事業団

右代表者理事 長洲一二

右訴訟代理人弁護士 福田恒二

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一〇月一六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、亡甲野春子(昭和四二年三月二八日生、以下「亡春子」という。)の父母である。

(二) 被告は、脳性麻痺等の疾患の患者にリハビリテーション治療を行い、患者の社会復帰等をはかる目的で設けられた七沢障害・交通リハビリテーション病院(以下「七沢病院」あるいは単に「病院」という。)を経営する者である。

2  七沢病院への亡春子の入院

原告らは、昭和五六年一〇月一三日、亡春子の親権者としては、被告との契約により、亡春子の脳幹脳炎(嗜眠性脳炎)の後遺症による発熱の異常等について今後の治療計画を立てるために、視床下部、下垂体系機能の検査を受けさせる目的で、亡春子を七沢病院へ入院させた(以下「本件入院」という。)。

3  本件事故の発生

亡春子は、本件入院中の昭和五六年一〇月一五日午後五時五七分ころ、自己の病室であった病院本館八階B病棟一〇号室(個室)から同階南側のベランダへ出て、同所から同館三階南側のベランダへ転落し、頭蓋骨折により同日午後六時一六分死亡した(以下、これを「本件事故」という。)。

4  亡春子の病状、治療経過等

(一) 亡春子は、小学四年生であった昭和五一年八月ころ、脳幹脳炎(嗜眠性脳炎)を発病し、以来、右脳炎及びその後遺症(嗜眠傾向、体温調節機能障害、脱力発作、精神症状等)の診療やリハビリテーションを受けるため、北里大学病院、都立府中病院等への入通院を繰り返してきた。

(二) 亡春子は、昭和五六年六月一七日から数回にわたり、右脳炎の後遺症の診療を受けるために七沢病院に通院し、同年八月一七日から同月二二日までは前記2の本件入院と同様の目的で入院し、その後、再検査のため本件入院をすることになった。

(三) 亡春子は、本件入院当時、全く目が離せず、常時看護、監視を要する状態にあった。その具体的な事情は次に述べるとおりである。

(1) 亡春子の知能は、発病後かなり低くなっていた。昭和五四年八月ころの検査結果によれば、知的能力にばらつきは見られないが、IQは三五で、精神年齢は四歳四か月相当に過ぎず、その後死亡時まで向上は認められなかった。

(2) 亡春子は、本件事故当時、町田市立第一中学校ワカバ学級(肢体不自由児学級)に在学し、通学にはタクシーによる送迎を受けていた。同女の昭和五四年五月一七日ころの学校生活は、相変らず行動の途中で意識がなくなったり、眠ってしまったりする傾向があったほか、物を投げたり、人を殴ったりするなどの乱暴な行為も出て来ており、また、突然「ママが死ぬ。」と叫んで校舎から校庭へ飛び出すようなこともあった。その歩行も完全ではなく、歩いていると崩れるように倒れる失立発作様の脱力発作も見られた。

(3) 亡春子の家庭では、原告らが共稼ぎであったため、原告甲野花子(以下(原告花子」という。)の在宅時以外は祖母乙山マツ(以下「祖母」という。)が亡春子の世話を引き受けていたが、常時目の離せない状態であった。

(4) 亡春子は、七沢病院への一回目の入院当時には嗜眠傾向が強く、寝ていることが多かったが、本件入院をしたころには嗜眠傾向が減退して活動的に変化したものの、その活動の内容はかなり悪く、家庭ではあちこち歩き回るようになり、学校でも行動しては度々転倒し、体に数か所の紫斑を作る程になっていた。本件入院中も、付き添っていた祖母や原告花子に対し、「死んでやる。」などといって悪態をついたり、トイレに入って鍵をかけ、出て来ようとしなかったり、急に走り出して転倒したり、興奮して暴れたりしていた。

(5) 亡春子が右のような状態にあったため、病院では基準看護を実施していた関係上原則として親族等の付添人の付添いを認めていなかったにもかかわらず、亡春子については例外として家族の付添いが認められていた。また、本件入院二日目の昭和五六年一〇月一四日には、担当医師が、亡春子を精神科病棟の保護室(窓に格子があり、出入口に施錠のできる部屋である。)へ収容するよう指示したことがあったが、偶々空室がなく実現しなかった。

5  被告の責任(債務不履行)

(一) 亡春子は、右4の(三)に述べたような状態にあったのであるから、被告には、七沢病院への亡春子の本件入院期間中、同女の生命身体の安全を保持すべき契約上の義務があった。

(二) 本件事故当日夕刻、亡春子に付き添っていた原告花子は、同女に週刊誌を読んでやっていたが、病院本館の地下食堂が午後六時で閉じられると聞いていたので、同日午後五時四五分ころ、右食堂へ夕食を食べに行くため、亡春子の病室を離れて同階中央付近の八B病棟ナースステーションへ行き、居合わせた看護婦らに暫時亡春子の看護、監視を依頼して右食堂へ向かった。

(三) このような場合、亡春子は前記4の(三)に述べたように常時看護、監視を要する状態にあったのであるから、原告花子の依頼を受けた看護婦らは、右(一)に述べた被告の契約上の義務の履行として、亡春子の病室へ赴き同人に付き添うか、同人をナースステーションに連れて来るなどしてその行動を監視すべきであり、これらの看護上の措置がとれないような状況にあったならば、原告花子を引き止めて夕食を後刻に延ばすよう勧告すべきであった。しかるに、看護婦らが右のいずれの措置もとらなかったため、本件事故が発生したのであるから、本件事故は、被告がその契約上の義務を怠ったことにより発生したものというべきである。

6  損害(慰謝料)

亡春子の病状は、原告らの愛情あふれる必死の看護により最近ようやく回復のきざしを見せるようになっていた。本件事故は、その矢先のことであり、原告らの悲しみは言語に尽くせない。したがって、本件事故により原告らの被った精神的苦痛に対する慰謝料としての相当額は、それぞれ金一〇〇〇万円を下らない。

よって、原告らは、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、各金一〇〇〇万円及びこれに対する亡春子死亡の翌日である昭和五六年一〇月一六日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2  同2(七沢病院への亡春子の入院)の事実は認める。

3  同3(本件事故の発生)の事実は認める。

4  同4(亡春子の病状、治療経過等)の事実について

(一) (一)の事実は知らない。

(二) (二)の事実は認める。

(三) (三)の事実について

(1) 冒頭の事実は否認する。

(2) (1)の事実のうち、亡春子の知能が低かったことは認めるが、その余の事実は知らない。

(3) (2)の事実は知らない。

(4) (3)の事実は知らない。

(5) (4)の事実のうち、家庭及び学校での亡春子の状態は知らないが、その余の事実は認める。

(6) (5)の事実のうち、病院では亡春子について例外として家族の付添いを認めていたこと、保護室への収容を検討したことがあることは認めるが、その趣旨、目的は争う。

七沢病院において、子供の入院患者について近親者の付添いを認めるのは何ら異例のことではなく、亡春子の場合には、検査の円滑な進行、過失事故の防止、肉親による観察情報を得て検査上の参考に供すること等を目的として付添いを認めたに過ぎず、同女の一回目の入院時から近親者の付添いを認めていた。

また、亡春子の保護室への収容については、当時同女に付き添っていた祖母の看護、監視の負担を少しでも軽減し、安眠させるという病院側の善意に基づいて検討されたに過ぎない。

5  同5(被告の責任)の事実について

(一) (一)の事実は否認する。

(二) (二)の事実のうち、本件事故当日、亡春子には原告花子が付き添っていたこと、同日の夕刻、原告花子がナースステーションにやって来たことは認めるが、その時刻及び原告花子が看護婦らに亡春子の看護、監視を依頼したとする点は否認する、その余の事実は知らない。

原告花子がナースステーションにやって来たのは午後五時四〇分の少し前ころであり、その際、同原告は、看護婦らに対し、「今、(亡春子は)眠っていますので、お願いします。」と言っただけでそのままエレベーターホールの方に向った。

原告花子がナースステーションに立ち寄ったのは、七沢病院では、付添人又は入院患者が病棟を離れる時は、その旨をナースステーションに告げるように励行を求めていたからであり、その目的は、医師の回診、検査等が急に行われたり、連絡の必要が生じたりすることがあるため、所在を明らかにしてもらうというに過ぎない。

仮に、原告花子がナースステーションに立ち寄ったことが、看護婦らに対する何らかの依頼の趣旨を含むものであるとしても、その内容は、亡春子が眠っていたこと等当時の状況からすれば、ついでの折に看護婦が亡春子の病室を見回ってほしいという趣旨に尽きるというべきである。

(三) (三)の事実のうち、看護婦らが原告主張の措置をとらなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。

亡春子は、本件事故の際、ベランダにぶらさがりながら、「さようなら。」「さようならおばあちゃん。」「おばあちゃん、今行くよ。」「お母さんごめんなさい。」などと言い、その後に転落したのであって、本件事故は、亡春子の自殺(ただし、死に対する理解能力の有無については別論とする。)であることが明らかである。

そして、請求原因4の(三)の(1)ないし(5)の各事実は、いずれも亡春子の自殺企図を窺わせるようなものではないし、同(4)の本件入院中の同女の言動も、同女の幼児性、甘え、依頼心、自己中心性等に根ざした示威的な行動に過ぎないのであって、同女の自殺企図と結びつくものではなかった。

したがって、本件事故は、七沢病院の担当医師ないし看護婦らが全く予見し得なかったものであるから、被告には原告主張のような措置をとるべき義務はなかった。

また、仮に、本件入院中の亡春子の監護について、被告に何らかの責務があったとしても、七沢病院の看護婦荒木ひで子は、原告花子がナースステーションに立ち寄った後、午後五時四〇分ころと五〇分ころの二回にわたり、亡春子の病室を訪れて同女が眠っていることを確認しているから、その責務は十分に果たしたというべきである。

6  同6(損害)の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者及びその地位等

請求原因1(当事者)、同2(七沢病院への亡春子の入院)及び同3(本件事故の発生)の各事実については当事者間に争いがない。

二  亡春子の病状、治療経過等

1  同4の(二)の事実、同4の(三)の(1)の事実のうち、亡春子の知能が低かったこと、同4の(三)の(4)の事実のうち、一回目の入院時と二回目の本件入院時とでの亡春子の状態の変化及び本件入院中の亡春子の言動、同4の(三)の(5)の事実のうち、病院では、亡春子については例外的に家族の付添いを認めていたこと及び保護室への収容を検討したことがあることは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  亡春子は、小学四年生であった昭和五一年七月末ころから突然元気がなくなってうとうとと寝入ってしまうことが多くなったため、同年八月六日、町田市所在の兼重病院の紹介で、北里大学病院に入院し、脳幹脳炎と診断されて治療を受け、翌昭和五二年三月一九日、症状が一応軽快したとして同病院を退院した。その後、同病院及び都立府中病院への入通院を繰り返し、診療やリハビリテーション治療を受けてきた。

(二)  昭和五四年八月ころの亡春子の症状は、北里大学病院において脳幹脳炎後遺症と診断され、具体的には、嗜眠傾向、体温調節障害、脱力発作、精神症状等の症状が見られた。

(三)  右(二)の症状のうち、体温調節障害とは、季節による外気温の変化に応じて体温の調節ができず、そのため、夏には脱水症状を起こすというものであるところ、亡春子は、主に右の症状に対する診療を受ける目的で、昭和五六年六月一七日から数回にわたり、七沢病院に通院した。七沢病院においては、亡春子の諸症状は、嗜眠性脳炎後遺症と診断され(なお、嗜眠性脳炎という診断と、右(二)の北里大学病院における脳幹脳炎という診断とは、脳炎の症状に着目するか、脳炎の発現部位(又は、そのように思料される部位)に着目するかの違いであり、実質的には同一である。)、今後の治療計画を立てるために視床下部、下垂体系機能の検査を受ける目的で、同年八月一七日から同月二二日まで同病院に第一回目の入院をした。そして、右検査結果を確認するための再検査の目的で本件入院をすることになった。

(四)  亡春子の知能は、発病前は正常であったが、発病後は意識水準が低下し、その後多少軽快したものの、昭和五四年八月ころに北里大学病院において行われた心理検査の結果では、知的能力にばらつきは見られないが、IQは三五で、精神年令は四歳四か月相当ということであった。また、その後七沢病院において行われた心理検査の結果では、発病前の記憶はほぼ完全に残っているが、発病後の事柄については、短期記憶に問題はないものの、長期記憶が困難で、新しい題材の学習ができず、現在の自分の境遇を否定し、発病前の自分の境遇の記憶に固執する態度が見られた。

(五)  亡春子は、発病前は町田市立つくし野小学校に在学していたが、発病による入院のため休学し、昭和五三年四月に町田市立第三小学校ヤマバト学級(肢体不自由児学級)に復学して昭和五四年三月に同校を卒業し、同年四月に町田市立第一中学校ワカバ学級(肢体不自由児学級)に入学して、本件事故当時は、同校に在学中であった。

(六)  亡春子は、中学校への通学には、市の教育委員会から差し向けられたタクシーで送り迎えを受けていた。発病後は、復学したとはいっても学校では寝ていることが多かったが、昭和五四年五月一七日ころの中学校における観察によれば、行動の途中で意識がなくなったり、眠ってしまったりする傾向が依然として続くと同時に、甘え、依頼心、自己中心性(いつも大人に相手になってほしい等)が見られ、物を投げたり、人をぶつなどの乱暴な行動も出て来ており、突然「ママが死ぬ。」と叫んで校舎から校庭に飛び出したこともあった。また、その歩行も完全ではなく、歩いていると崩れるように倒れる失立発作様の脱力発作も見られた。

(七)  家庭では、原告らが共稼ぎであったため、原告花子が在宅する時は亡春子の世話をしていたが、普段は祖母が世話をしていた。亡春子は、発病後一、二年間は寝ていることが多かったが、その後、話や食事中に突然訳のわからないことを言うようになって、こうしたことが次第に多くなり、例えば、「殺してやる。」と言って悪態をついたり、原告花子に向って「あなたはわたしのお母さんじゃない、よそのおばさんだ。」と言うかと思うと、祖母に対しては、涙を浮かべて、「おばあちゃんありがとう。」と言ってみせたりした。また、身の回りの世話をする人に対し、ひっかいたり、つねったり、物を投げたりするほか、タオルなどで自分の首を締めるようなこともあったし、走り出したときは、そのままでは転倒してしまうため、原告花子や祖母が即座に取り抑えなければならなかった。

(八)  亡春子が第一回目に七沢病院へ入院した際には、同病院八階B病棟六号の病室で、他の五名の患者と同室であった。その入院当日(昭和五六年八月一七日)、原告花子は、看護婦に対し、亡春子について、歩行時にふらつきがあることや、時折不穏、興奮状態となり、他者に被害を与えたり、「バカヤロー。」等々の発言をする旨話していたが、実際には、第一回目の入院中、嗜眠傾向が強く、ほとんど寝ていることが多かった。

しかし、亡春子には右退院後、前記の意味不明の言動が多くなり、本件入院時には、転倒により顔面や身体の数箇所に紫斑を作るなどして、日常行動もかなり活動的になっていた。本件入院中の亡春子の状態は、第一回目の入院時と比較して嗜眠傾向が減退して活動的に変化したものの、その活動の内容はかなり悪いものであった。

本件入院中、亡春子には次のような目立った言動があった。

(1) 入院初日の昭和五六年一〇月一三日午後六時前ころ、付き添っていた祖母に対し、「死んでやる。」と言って病室からベランダに出ようとしたり、フォークを持って襲いかかろうとしたりして、興奮気味であった。

(2) 同日午後七時ころ、看護婦が気分が悪くないかどうか尋ねたところ、「ババーがいるから気分が悪い。」と答えた。

(3) 翌一四日午前六時ころ、「看護婦さん、このババーは嫌いだ。」と言いながら祖母の顔に爪を立て、注意すると祖母からタオルを受け取って自分の首を強く締めた。

(4) 同日午前八時ころ、祖母が目を離した僅かな隙に病室内のトイレに入り、中から鍵をかけてしまい、「死にたい。ナイフを。」などと言って祖母の説得に応ぜず、結局、連絡を受けた病院の職員がトイレのドアをこじ開けて、ようやく連れ出した。

(5) 同日午前八時四五分ころ、食事に行った祖母のかわりに病室で付き添っていた看護婦に対し、祖母と一緒に行くと言って車椅子で八階B病棟のナースステーションの前の廊下まで連れ出してもらい、看護婦がもう病室へ戻ろうと説得したところ、「一人でも行く。」と言って立ち上がり、同階のエレベーターホールに向かって急に走り出した。看護婦はすぐ追いかけたが追いつけず、亡春子はエレベーターの前で転倒した。その後同女は病室へ連れ戻されたが、興奮してひどく暴れるため、看護婦が馬乗りになって抑制しながら四肢胸部を抑制帯で固定した。

(6) 翌一五日午前中はおとなしかったが、午後二時ころ、病室床頭台の上に置いてあったナイフをさっと取り、「お母さん殺して。」とか「死んでやる。」などと言い、また、大声で「助けて。」と叫んで興奮状態になったかと思うと、急にうつむいて黙ってしまった。

(九)  以上の次第で、原告花子や祖母は、目覚めている時の亡春子からは目が離せないと考えていた。

(一〇)  他方、家庭においては、学校側から日常の所作をできるだけ一人でさせるように指導されていたこともあって、亡春子は、本件入院をするころには、やはり行動の途中で眠気を示すことはあったものの、朝方、原告花子が起こしに行って、今日は学校だからと言えば、同原告と一緒に顔を洗いに行ったり、夜分に寝る時間だから自分が寝なくてはいけないと言えば、素直に聞き入れるなど、日常会話程度はできるようになっていたし、食事や用便もある程度自分でできるようになっていた。また、楽しい時はいくらか笑顔を見せたり、悲しい時は涙を出したりして、多少は感情を表現できるようになり、学校へ持って行った弁当箱を、帰宅後、自分で台所へ持って行く行動も見られたことから、原告花子や祖母としては、亡春子が少しずつ回復のきざしを見せていると思っていた。

(一一)  夜間は、父母である原告らの間で寝ていたが、睡眠中はとりたてて危険な行動に出たことはなく、原告らや祖母が夜通し監視するということはなかった。本件入院中も、付き添っていた原告花子や祖母は、夜間は病室内に備え付けてあった折りたたみ式のベッドを利用して就寝していた。

(一二)  歩行もいくらかはでき、運動は、家庭においては、たまに、庭で原告花子を相手にボール投げをすることがあったし、学校においても、マットの上で転がったり、ボール投げをする程度のことはしていた。

(一三)  (六)ないし(八)に述べた粗暴な言動も、原告花子ら周囲の者に現実に危害を及ぼすおそれがあると感じさせるものではなく、また、「死んでやる。」という言葉や、タオルを首に巻き付けるなどの行動も、すぐその後に普通の状態に戻るという持続性のないもので、原告花子や祖母は、これらの言動は、亡春子が自分に周囲の関心を引き付けようとしているだけであり、生命身体に現実に危険があるものではないと考えていた。

(一四)  七沢病院の担当医師や看護婦らは、第一回目の入院時及び本件入院時とも、亡春子を特別な保護を要する患者とは考えておらず、また、いずれの入院も検査目的であって、緊急性のあるものではなかった。入院病棟は、いずれの入院の際も一般病棟である八B病棟で、特別な保護設備のあるものではなく、しかも、同病棟では、患者が自由に生活できるよう、各病室の出入口は昼夜開放されていた。亡春子の病室は、第一回目の入院の際は六人部屋で、本件入院の際は個室であったが、これは単に七沢病院における患者の収容に伴う病室の都合によるものに過ぎなかった。

また、七沢病院においては基準看護を実施し、原則として親族等の付添いは認めていなかったが、亡春子については、二回とも入院の付添いが認められていた。右の例外措置は、子供の入院患者に対するかなり一般的な措置であり、亡春子の場合は、主として、食事、排泄、衣服の着替えなどが一人では上手にできないので介助が必要なためであり、付随的に、付添人の観察に基づく情報を検査上参考にするなどのためであった。

更に、本件入院中の昭和五六年一〇月一四日、担当の呉羽医師及び中村美佐子婦長が、亡春子を精神料病棟の保護室へ一時収容することを検討したことがあったが、これは、当時付き添っていた祖母が老齢であり、前記(八)の亡春子の粗暴な行動のために疲労しているのではないかと考え、祖母の負担を軽減するため善意から休養させることを考えたに過ぎず、亡春子自身に差し迫った保護の必要があったからではなかった。

前記(八)の亡春子の粗暴な言動についても、医師や看護婦らは、亡春子の幼児性、甘え、依頼心、自己中心性等に根差した示威的なものに過ぎず、切迫性、持続性を欠くものと判断し、右の言動から同人に特別な保護の必要を感じることはなかった(なお北里大学病院における入院病歴を総括した前掲甲第一号証の五、乙第一六号証の七に、亡春子の精神症状として「自殺行為」とあるのは、右認定事実、前記(一三)で認定した事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、右認定と同様示威的なものであると推認される。)。

(一五)  本件入院中、朝夕に看護婦らが覚せい中の亡春子の病室を訪れた察、祖母や原告花子から頼まれて、同人らが病院本館地下の食堂へ食事に行く間、付添いを交替したことがあったが、これは、前記(八)の亡春子の粗暴な行動等に鑑み、覚せい中は、一人にしておくと、転倒等の危険があると考えていたためであった。病院における右の取扱いは、多動な子供の患者について、事故を避けるための一般的な措置であり、看護婦が多忙な時は、その子供の患者をナースステーションに連れて来て看護婦のそばに置いたり、小さな子の場合には看護婦が背負って作業をするようなこともあった。

しかし、夜間、付添人が患者と共に就寝する時間帯には、看護婦が時々病室を見回る程度で、右のような取扱いをすることはなかった。また、亡春子についても、本件事故発生以前において、看護婦らが、同女の睡眠中に付添いの交替をしたことはなかったし、付き添っていた原告花子や祖母からこの点を明示して依頼されたこともなかった。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件入院中の亡春子に対しては、その知能程度、歩行能力、粗暴な行動等に照らし、覚せい時には、意外な行動と転倒等による事故の発生を防ぐため、付添人又は看護婦らによって、その行動を引続き監視する必要があったとは言い得るが、その必要な程度については、同女から全く目が離せないというほどのものではなく、特に同女の睡眠中は、監視なしでも一応安心していられる状態にあったというべきである。

三  本件事故に至る経緯

1  請求原因5の(二)の事実のうち、本件事故当日、亡春子には原告花子が付き添っていたこと及び同日の夕刻、原告花子が亡春子の病室からナースステーションにやってきたこと、同5の(三)の事実のうち、看護婦らが原告主張の措置をとらなかったことは当事者間に争いがなく、同3(本件事故の発生)の事実について当事者間に争いがないことは、前記一で説示したとおりである。

2  右の争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件事故当日、亡春子には原告花子が付き添っていたが、同日午後四時三〇分少し前ころに病院八階B病棟の婦長である中村美佐子が亡春子の病室を巡視したところ、同女は原告花子に悪態をついて「帰れ。」と盛んに言っていた。これに対し、原告花子はいったん病室の入口のほうに行きかけて帰る素振りを見せたが、また亡春子のベッドのそばに戻って話題を変えると、同女は機嫌をとりなおしたことがあった。

(二)  同日午後五時一五分ころ、荒木看護婦は、病院八階B病棟を巡視し、その際亡春子の病室(ドアは開放されていた。)をのぞいてみたところ、原告花子が、亡春子のベッドのそばで、右手を上に差し上げ、その手を手の平が水平に近い状態にまで倒して見せたので、これを亡春子の眠っていることを示す合図であると理解し、亡春子の状態については特に確認しないで病室を離れた。

(三)  同日午後五時四〇分少し前ころ、病院八階B病棟のナースステーションにおいて、右荒木看護婦が、当夜の相勤者である藤島看護婦に対して仕事の申送りをし、居残っていた佐藤看護婦が、勤務を終えて立ち寄っていた奈良看護婦と話をしていたところ、原告花子が同ナースステーションの小窓からその内部に居合わせた看護婦らに対し、亡春子が眠っているので食事に行って来る旨を告げたので、看護婦が了解した旨返事をした。すると、原告花子は、同ナースステーションの南側にあるエレベーターホールに向かい、そこからエレベーターを利用して本館地下の食堂へ食事をしに行った。

なお、七沢病院では、医師の回診、検査等が急に行われたり、連絡の必要が生じたりすることがあるため、付添人又は患者が病室を離れる時は、その旨をナースステーションの看護婦に告げるよう励行を求めていた。

(四)  荒木看護婦は、原告花子が立去った直後、右申送りを簡単に短時間で済ませ、午後五時四〇分ころ亡春子の病室に様子を見に行ったところ、同女はベッドで眠っている状態であったので、そのまま元のナースステーションに戻ってほかの仕事をした。

(五)  その後、荒木看護婦は、亡春子の病室と同じ八階B病棟の一三号室からのナースコールにより同号室の患者の排尿の介助をしたついでに、午後五時五〇分ころ、亡春子の病室の様子を見たところ、同女は、ベッドで腕を胸の上に組んで眠っている状態であったので、再びナースステーションに戻った。

(六)  午後五時五七、八分ころ、七沢病院の技術職員である村本昌一が、会議を終えて自己の職場へ戻るために中庭を歩いていたところ、亡春子が病院八階B病棟一〇号室の南側ベランダのフェンスにぶらさがりながら、ゆっくりとした口調で、「さようなら。」「さようならおばあちゃん。」「おばあちゃん、今行くよ。」「お母さんごめんなさい。」などとつぶやいているのを発見し、急いで救助の手配をしたが、その後間もなく、亡春子は、八階南側のベランダから転落して南側に突き出ている三階南側のベランダまで落下し、同日午後六時一六分頭蓋骨折のため死亡した。転落した亡春子のそばには、同女の靴が落ちていた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実並びに前記二の2の(一一)、(一五)で認定した亡春子の入院中の状態、特に本件事故前睡眠中の同女については監視していなくても一応安心していられる状態であったことを総合すれば、本件事故当日の午後五時四〇分少し前ころ、原告花子は、亡春子が病室のベッドで眠っている間に夕食を済ませておこうと考え、病院側の指示に従って同階のナースステーションに立ち寄り、居合わせた看護婦にその旨を告げて本館地下の食堂まで出向いたところ、亡春子は、同日午後五時五〇分ころ以降に至って、目を覚まし、ベッドから起き上がって病室から南側のベランダへ出たうえ、同所のフェンスを乗り越え、転落したものと認められる。

これに対し、原告花子は、その本人尋問において、亡春子の病室を離れた際同女は目を覚ましており、同原告がナースステーションに立ち寄ったのも、同原告の食事不在中看護婦に亡春子の付添いを依頼するためであったのであり、その際ナースステーションには誰もいなかったが、「すみません。」と声をかけると、返事がしてナースステーションの横の通路から荒木看護婦ともう一人の看護婦が出て来たので、右趣旨の依頼をしたところ、右看護婦が二人とも足早に亡春子の病室へ向かって行ったので、地下の食堂へ行くためにエレベーターに乗った旨右認定に牴触する趣旨の供述をしている。

しかし、本件事故発生前に、原告花子や祖母が亡春子の付添いを看護婦に交替してもらったのは、いずれも亡春子が目を覚ましているところへ看護婦が病室に来合わせたときだけであって、この点については前記二の2の(一五)で認定したとおりであり、従前、目を覚ましている亡春子を一人で病室に置いたまま、原告花子や祖母がわざわざナースステーションまで出向いて付添いの交替を依頼したような事実については、これを肯認するに足りる証拠はない。また、原告花子は、他方で、覚せい中の亡春子については目が離せない状態であった旨供述しているのであるから、ここで、覚せい中の同女を一人で病室に置いたまま、ナースコールもせずに、ナースステーションにわざわざ出向いて付添いの交替を依頼したとする同原告の右供述部分は、それ自体不自然である。更に、前掲証人荒木、同奈良の各証言によれば、原告花子がナースステーションに立ち寄ったころは、病院が準夜勤態勢に入る時間帯で、看護婦が交替するため勤務している看護婦は比較的少なかったことが認められ、かような状況のもとで、同原告の供述するように、ナースステーションに居合わせた看護婦が二人も亡春子の病室へ向かうことは考えられず、この点でも同原告の右供述は不自然である。

要するに、前記認定に牴触する原告花子の右供述部分は、それ自体不自然であるうえに、前掲荒木、奈良各証人の証言に照らして採用することができない。

なお、原告花子は、その本人尋問において、本件事故の少し前に同原告が亡春子の病室から離れた後に、同女は、その病室のベッドの下に置いてあった靴下と靴を自分ではき、ベランダ側のガラス戸の前に立てかけてあった付添人用の折りたたみ式簡易ベッドを移動するか、又は乗り越えるかして病室のガラス戸を開け、そこからベランダに出たものと考えられるが、日ごろ同女としてはこのような身辺の所作にもひどく長い時間がかかっていた旨供述し、また、証人乙山マツの証言中にも、同旨の供述部分があるので、その所要時間のいかんによっては、亡春子がベランダにぶらさがっているのを発見された午後五時五七、八分ころよりも七、八分前の午後五時五〇分ころに荒木看護婦が病室のベッドで眠っている状態の亡春子を確認したというのは不自然なことになる。

しかし、(一)亡春子の転落時の状況について前掲各証拠により認定できるのは、転落して倒れていた亡春子のそばに同女の靴が落ちていたことだけであり、その際、同女が果して靴をはいていたのか否か、靴下はどうなのか、付添人的簡易ベッドの位置関係はどうだったのか、ガラス戸の施錠はどうだったのか、これらの点を確定するに足りる証拠はないこと、(二)亡春子が靴下や靴をはくのに必要な時間等について、原告花子及び証人乙山マツの供述するところは、それ自体曖昧であるうえ、亡春子の最も身近な親族として、その回復をひたすら期待している原告花子や祖母にとって、同女の所作がもどかしく、これをひどく長く感じるのはむしろ当然であること、(三)荒木看護婦が亡春子の病室に立ち寄った時刻に多少の誤差があり得ることは、同看護婦の証言自体から明らかであること、以上のことからすると、亡春子の日常の所作に長い時間がかかったからといって、前掲荒木証言の信用性に疑いがあるというわけにいかない。

四  被告の責任について

1  原告は、亡春子の本件事故前の状態からして、被告には、本件入院の期間中、同女の生命身体の安全を保護すべき契約上の義務があった旨主張する。

そこで、この点について判断するに、本件入院契約における被告の債務の本旨として、本件入院期間中亡春子の生命身体の安全を保護すべき義務があったということはできないことは前記二に認定した事実から明らかであるが、一般に、病院が幼い子供の患者を入院させる場合には、特別な保護を要しない子供であっても、成人と異なり思慮分別が十分ではなく、突発的に危険な行動に走ることがあり得るのであるから、親族等の付添いを認めている場合であっても、入院契約上の付随的な義務として、病院側においても社会通念上相当な限度で当該子供の患者の安全について配慮すべき義務があるというべきである。しかして、亡春子は、本件事故当時、一四歳ではあったが、その知能は幼児程度であり、その幼児性等に基づく粗暴で示威的な言動が顕著であったうえ、歩行能力も完全ではなく、その覚せい中、転倒等による事故を防ぐため、ある程度行動を監視する必要があったことは既に判示したとおりであるから、いわば多動な幼児に類するものとして、被告としても亡春子の本件入院中社会通念上相当な限度で同女の生命・身体の安全について配慮すべき義務があったというべきである。

2  そこで、被告は、亡春子のために配慮すべき前記義務を尽くしたものなのかを検討するに、既に認定判示したとおり、亡春子は、原告花子が同女の病室を離れた際、眠っていたものであるうえ、その睡眠中は監視していなくても一応安心していられる状態であったのであるから、同女に対しては、同原告の不在中、前記認定判示のとおり、荒木看護婦が、亡春子の病室を再度訪れて同女が睡眠中であることを確認したことにより、社会通念上相当な限度での被告の義務の履行は尽くされたものというべきである。したがって、請求原因5の(三)の原告の主張は、亡春子が覚せい中の場合はともかくとして、叙上のとおり睡眠中であることを確認していた本件においては採用することができない。

また、本件事故は、それまで寝ていた亡春子が突然起き出し、病室からベランダへ出てフェンスを乗り越えてフェンスにぶらさがりながら、「さようならおばあちゃん。」「おばあちゃん、今行くよ。」「お母さんごめんなさい。」などとつぶやきながら転落し、よって失命したものであることは前認定のとおりであって、これを同女の幼児性等に基づく示威的行動としてのみ理解することは到底困難であり、本件事故当時同女に死の意味を理解する能力があったか、否かはともかくとして、同女が自ら死に至るべき行動をとったものであることは明らかである。そして、亡春子がかかる行動にでる危険のあることについては、七沢病院の医師、看護婦らはもとより、日ごろ同女の面倒を見ていた原告花子や祖母でさえも全く予見していなかったことは、既に認定判示したとおりである。したがって、亡春子がかかる行動をとる危険があったことを前提として、被告の果たすべき義務を論じることはできないといわねばならないし、結局、本件事故については、当時当該関係者らの全く予見し得なかったことであって、何人の責任をも問い得ないことに帰着する。

五  結論

以上の次第で、原告らの本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないことすでに明らかであるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川瀬勝一 裁判官 小倉純夫 佐藤道明)

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